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スタッフブログ
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他者の幸せを考えるなら・・・
当センターに来られお客様から最近伺ったお話をまずご紹介します。
この方がTM(超越瞑想)を始められたのは数年前。そのころ、こんなことを考えていたのだそうです。
「自分は仕事の仲間や身近な人たちの幸せに貢献できているかな?仕事を通じて社会のために役立っているかな?」 そして、「まだ十分じゃない。自分を発揮できていない」と思っていた時にTMという瞑想を知り、習いに行かれたと言います。「もっと自分を発揮したい」という思いからご自分のためにTMを学ばれたわけですが、お話によると、どうやらそれは「他者の幸せに貢献できる自分でありたい」ということでもあったようです。
TMを日々実践されている方のうち、ほとんどの方はご自身のためになさっています。もちろんそれでよいわけですし、十分すばらしいことなのですが、こんな方もいらっしゃたのだなあ、とお話を聞いて清々しい気持ちになりました。
さて、他の人たちの幸せやよりよい社会のために役立ちたい!と願うとき、欠くことのできないものがあります。何だと思いますか?それは、私たち自身が幸せでいること。自分自身の幸福です。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは言います。
「人は自分が持っているものしか他者に与えることはできない。幸せでない人が、どうやって他の人を幸せにするのですか?」と。
私たちは自分でも気づかないうちに自分の内にあるものを周りに放射しています。内に幸せがあれば幸せが、喜びがあればその内なる喜びが、雰囲気や波動となって周囲の環境の中へと放たれます。それは自然に(勝手に)私たちの中から流れ出て、周囲に広がり、身近にいる人たちに伝わります。内に良いものを持っていれば、周りの人達は私たちから放たれるその良いものを受け取り、影響されて、元気づけられ、勇気づけられ、自信や明るさを取り戻します。
私たちは知らないうちに、まったく無意識のうちに、自分の内側にあるものを周りの人たちにおすそ分けしているのです。もしも悲しみや怒り、いら立ち、不安、緊張、ストレス、焦り・・・・、こういうものを私たちが抱えていたらどうでしょうか?もちろんそれも外に放たれ、周囲の環境の中に注ぎ込まれてしまいます。私たちは今日自分がなんだか憂鬱で、気分が上がらないからと言って、ほかのだれかを自分の憂鬱の道連れにしたいとは思いません。自分がカリカリイライラしているからと言って、そのせいで周りの人にまで嫌な思いをさせたいとは思いません。ですが、残念ながら、私たちの意思とは無関係に、人に見せたくない否定的なもの、自分の中だけでなんとかしてしまいたいようなものもまた、私たちの中から勝手に流れ出て、周辺環境に広がっていくのです。
地球人口約70億人のひとりひとりがこんな風に自分の内にあるものを外側に常時放出しています。そして同時に私たちは、他の人たちから放出される、目には見えない様々なものから常に影響されてもいます。
つまり、今日の私の憂鬱は私だけの問題ではないのです。それはほかの人たちの健康や幸せにも影響を及ぼしてしまうのです。他の人たちへの悪影響を考えると(そしてもちろん、自分自身のためにも)、私は今すぐにこの憂鬱感を自分の中から消し去らなくてはなりません。どんな人も、周りに否定的な影響を放つ存在でいたくはないはずです。人を幸せにし、勇気を与え、元気にするような良い影響を与える存在でありたいなら、まず私たち自身が元気いっぱい、幸せいっぱい、熱意にあふれてやる気満々、そんな自分でいる必要があるのです。
人の幸せのために、より良い社会のために役立ちたい!貢献したい!と願うなら、まず自分自身が目いっぱい幸せでなくてはなりません。良いものだけを放射し続ける、力強い存在でなくてはなりません。
日々のTM(超越瞑想)の実践は、私たちの中から否定的なもの、役に立たないものを一切合切取り去ります。そして良いものだけでいっぱいに満たしてしまいます。そして、誰もが私たちから良いものだけを受け取るようになるのです。平松直子
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古くて新しいテクニック
「この技術(超越瞑想)は何も新しいことではありません。これは私たちが昔から知っていることです。新しいと思われるのは、超越意識に接触することは簡単であるという点です。真我の中に飛び込んで、そのエネルギーと幸福と知識の大きな宝庫を探求することは、だれにとっても容易にできることです。その簡単であるということが新しいのです。」マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
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マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが述べるとおり、この超越瞑想という瞑想は本当に単純なテクニックです。ですが、「瞑想とは簡単にできるもの」というのをご存じの方、どのぐらいいらっしゃるでしょう?
さて次は、TM中に私たちがどのように想念の過程を超えて純粋意識という領域に達するのかについての、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの解説です。
想念を超越する自動的な方法
「私たちはどのように瞑想するのでしょうか?心の状態は一つの想念によって認識されます。私たちがすることは、一つの想念を意識的に小さくしていくことです。つまり、想念の精妙な状態を経験していきます。そして、想念の最も精妙な状態を経験した後、それを超越して、純粋で超越的な意識に到達します。このようにするのです。それはまったく簡単で、一つの想念の精妙な状態をただ経験していくだけです。どの状態でも、それよりもさらに精妙な状態が経験されるようになります。そして、想念の最も精妙な状態を経験した後、その経験を超越して、純粋意識の超越的な経験へと達するのです。そのとき心は、すなわち個別的な心、時間と空間と因果律に束縛された心は、宇宙的な心となります。
さて、このように話すと、非常に系統的であるように思われますが、私たちが実際に行うことは、精妙な経験の中へただ入っていくことだけです。私たちは想念というのは非常に抽象的なものであると知っています。想念にはまったく具体性がありません。しかし、この瞑想の方法によるならば、そのような抽象的な想念の、その精妙な状態を意識的に経験することができるのです。」
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
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いかがですか?ここまで読まれて、どんな印象を持たれたでしょうか?「なんか難しそうだなあ」と思われたかもしれませんね。確かに説明を読んだり聞いたりするとチンプンカンプン、難しそうに思えるのですが、実際にやってみてそれを体験するのはとても簡単です。このテクニックの単純さ、シンプルさに驚かれるかもしれません。
では、その効果のほどは?ご興味のある方は過去の記事もどうぞご参照ください。
問題解決が楽になる!TM(超越瞑想)による意識の開発 | 超越瞑想(TM)福岡センター (tm-kyushu.co.jp)平松直子
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至福と健康
TM中の至福の体験は幸福な人生の土台です。
心の海の奥深くには、純粋な幸福、至福が隠れています。
隠れていますが、それは人生を支えています。
このまま内に隠れた至福を知らずにいては、人生は不安定なままに終わってしまうでしょう。
至福を知らない人でも、「私は健康だから幸せだわ」「素敵な家族がいて幸せだわ」と云うでしょう。
ですがその幸せは至福とは大きく違っています。
その健康と至福の人の健康も大きく違います。
TMは心の内に眠る至福を直接に体験するための瞑想法です。
至福、それは甘露以上の魅力の場です。その内なる魅力を体験するための超越瞑想-TMですから、TMが難しいということはありません。瞑想するときに必要なことは外に向いている注意を正しい角度で内側に向けることだけです。
心の海の奥底は心の故郷、心の原点です。そこは命の力強さと優しさ、くつろぎと躍動力が一つになった純粋な生命の場です。そのような内深くにある命自身の本質、至福の存在に気がつけば、あとはその魅力に惹きつけられて心が内側に向かっていくのは自然なことです。
朝にTMをすると純粋な命に触れて、幸福なしなやかな心になって出てきます。怒りや不安から解放されて出てきます。それから一日を始めます。そうすれば、人間関係や仕事、健康面等々、人生のあらゆる面が必ず改善します。
心の内の純粋な幸福・至福を体験するためのTMですから、TM中に苦痛はありません。
これまでなかなか瞑想できなかったという方も、TMならできるはずです。
一度学べば、一生気楽に気長に続けられる方法です。
TMは簡単ですがその体験は奥が深く、その効果・結果も素晴らしいものです。日々の疲労やストレスの解消に役立ちますが、それ以上のもの、「悟り」を求めている方にもぜひ役立てていただきたい本物の瞑想です。黒須敏道
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心の海底資源を開発する
心は海のようです。心の海の表層はあれやこれやの思考によって常に波立っていますが、心の海の深みは静かです。
TM(超越瞑想)では心の内側を体験します。
TM中、私たちは心の海に飛び込んでその深層を体験します。飛び込むと心は静かになって、心の海の最深層においては完全な静寂となります。このようなTMの体験から元来、心とは穏やかな落ち着いたものだと分かります。
そして、TMを終わって表層へ出てくるとき、心は躍動的になって出てきます。安らぎ、落ち着きを保ちながら、活き活きと力強く元気になって出てきます。このような体験から元来、心とは力強く機敏なものであると分かります。
瞑想中、内に行くときには落ち着いて、出てくるときには躍動的になっている、そのような二つの体験から、心の最深層は「安らぎに満ちた機敏さ」の状態であると分かります。それはちょうど引き分けられた弓のような、放たれる直前の矢のような状態です。動きはありませんが弛んだだらけた状態ではありません。心ははっきりと注意深く目覚めています。
心の最奥は心のふるさとです。そこには心の原型があり心の真実があります。素晴らしいことに、そこには安らぎ、機敏さだけでなく、才能、エネルギー、知性、創造性が隠れています。そこは無限の潜在能力の場なのです。
心の海の底には潜在能力が地下資源のように眠っています。私たちはTMによって心の海に飛び込み、深みを順番に意識しながら海底にまで至ります。そして出てきます。TM中、安らぎに満ちた機敏さという初心を体験し、そして出てきます。自己の真実を垣間見て、そして出てきます。行って出てきて、行って出てきてと、朝夕のTMを一日二回繰り返します。すると次第に心の深層が顕在化し、潜在能力は開発されるのです。
TMを実践するということは、心の表層から海底までパイプラインを構築するようなものです。それにより深みに隠れていた価値が表層において利用出来るようになります。安らいだ心持ちのなかで多忙な日常を機敏にこなし、あふれ出る才能によってより豊かに生きる事ができるようになるのです。黒須敏道
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心の海の底にあるもの―静寂と躍動
心の海の底にある「安らぎに満ちた機敏さ」
TM(超越瞑想)は、心の海を潜っていくための技術です。
私たちは、らくに座って目を閉じてTMを始めます。すると、注意は外の喧噪から離れ自然に内側を向きます。正しい角度をとって心の海に飛び込めば、あとは自動的です。正しい飛び込み角度の設定も自動的です。
TM中、私たちは心の海を潜っていきます。すると慌ただしく働いていた心は自然にひとりでに静かになります。そして心の海の底に到達すると、心は完全な静寂となります。
心の底は「完全な静寂」です。ですが、けっして鈍くたるんでいるということではありません。そこは安らいでいながら機敏な状態です。ちょうど引き絞られた矢のように・・・、スタート直前の低く身構えて微動だにしないスピードスケート選手のように・・・、動きはありませんが、弛んでいるわけではありません。
心の海の奥底の静寂のなかに生命の躍動力が隠れています。隠れていますからそこは静かです。静かで安らいでいますが活き活きとしています。静寂と潜在した躍動です。相反するような命の質が心のスタート地点に、二つが一つとなって存在しているのです。
ですから、日常、もっと落ちつきたいという方はTMをすると良いでしょう。なぜなら、心の奥には命本来の静寂があってTMによってそれを引き出すことができるからです。日常、もっと積極的になりたいという方もTMをすると良いでしょう。なぜなら、心の奥に命の躍動が眠っていてTMによってそれを目覚めさせることができるからです。
そして、ここぞという時、なかなか己の実力を存分に発揮出来ずに悔しい思いをしてきたという方も、TMをすると良いでしょう。なぜなら能力を十分に発揮するためには、動と静、弛緩と緊張、熱い心と冷静さ・・・、そのような相反する価値の両方が必要になるからです。リラックスしていてそれでいて適度な緊張感がある・・・、油断なくはりつめた状態でありながら肩の力は抜けている・・・、存分に能力を発揮するためには、そのような心持ちであるべきです。
生命は元来、陰陽完全にバランスが取れているものです。TM中は命本来の均衡をその源において体験することが出来ます。それを体験しては出てくる、行っては出てくる、このように朝夕一日二回規則的に繰り返していると、静と動のバランス、理性と感情、心と体、自律神経・交感と副交感等々のバランスがより高い次元で保てるようになります。
それは、一生一度の時でさえ平常心で迎えることが出来るようになるということ、なのです。黒須敏道
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動と静―生命の二つの面を生きる
生命には「動」と「静」の二面があります。
心は海に例えられます。
心の海の表層は波立っています。そこは動きでいっぱいです。
心の海の最深層には動きはありません。完全な静寂です。
動と静、これは生命の二つの面です。
一方は日々慣れ親しんできた喜怒哀楽の営み、動きでいっぱいの心です。ですがもう一方の静寂については、多くの方は知りません。心の奥の不動面は、表層の営みを支える大事な大事な土台であるにも関わらず、多くの方はその存在を知りません。存在を知りませんから、その重要な価値、役割も知りません。その静寂を意図的に活用し利用することで、表層の営み、日々の生活、人生が一変することも知りません。
生命は動と完全な静の二つの面から成っていますから、命を生きるということはこの二つを生きるということです。ところが残念なことに、私たちは心の表層の動きでいっぱいの変化相だけを生きています。表層だけを生きて「人生は無常だ」と悟ったつもりでいたりするのですが、命の一面だけを生きているのですから、才能のすべてを使うことはできませんし、本物の安心感も知りません。
TM(超越瞑想)は心の最深層を体験するための瞑想法です。私たちはTMによって、1日2回、朝と夕、心の奥の完全な静寂を体験し、そして出てきます。行って出てきます。表層から深層へ、深層から表層へ、何度も何度も行ったり来たりと繰り返します。すると次第に心の深層に親しみ、ついには心の全体を意識できるようになります。
その時、私たちは心の奥の「恒常一定、不変不動」という命の本質に足場を定めて、表層の「無常」を生きるようになります。至福の安定感のなかで喜怒哀楽の真実、人生の真実を生きるようになるのです。それは不安や緊張のない喜びの中の人生です。黒須敏道
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超越瞑想の体験 心の海の表層から深みまで
心は海のようです。
多忙な日常や外からの絶え間ない刺激が、私たちの心を波立たせています。あれもしなければ、これもしなければ。あれも欲しい、これも欲しい。あぁ、忙しい忙しいと。このようにして心の波が大きくなると、私たちは嵐のなかの小舟のようになってしまいます。余裕をなくし、不安や緊張、恐怖が高まってしまうのです。
ですが、どれほど表層が波立っていても、心の海の奥は静かなのです。
ここで早合点する方がいらっしゃるかも知れません、忙しい日常や尽きることのない欲望が問題なのだと。さらには、心の表層の波を静め、凪の時のような心の状態に持っていくのが瞑想というものであり、TM(超越瞑想)もその類いのものであろうと。
TMは心の表層に留まってあれやこれやする・・・、例えば、雑念を追い払おうとしてみたり、呼吸をコントロールしてみたり、幸福なイメージを持とうとしたり、何かに集中しようとしたり・・・、TMはそのようにして心の表層で静かになろう、落ち着こうとする方法ではありません。
TMでは心の内側を体験します。心の表層から奥底まで潜っていくのです。潜っていくために必要なことは正しい角度をとって飛び込むことだけです。あとは自動的です。正しい飛び込み角度の設定もTMの場合、自動的です。さらには出てくることも自動的です。内側に潜れば潜るほど浮き上がる力、出てくる力も強くなります。
TMによって心の奥底を体験して出てくる、行っては出てくる、このように私たちは朝と夕、一日2回、繰り返します。すると、表層だけでなく心の深層もしだいに顕在化してくるのです。表層にある「動」と深みの「静」が同時に生きられるようになるのです。その時には、錨を下ろした船のように心は安定し、表層の波がどんなに大きくなっても恐怖や不安が感じるということはなくなります。不安どころか逆に、心の波が高く大きくなればなるほどおもしろくなるのです。
生命の表面的価値と深みの価値が統合されて、ヨーガの状態になるということです。
これがTMの経験であり結果です。
不安や緊張から解放された人生をいきるためにTMは役立ちます。黒須敏道
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心の全体を把握し、活用する―TM(超越瞑想)
心には海のような深さがあります。
そして、私たちは心の海の表層の波立つ状態だけを生きています。それは、この科学の時代において物質の表層の価値だけを利用しているようなものですから、とてももったいない事です。
錨を下ろすことなく波立つ心の表層に漂ったままでは、凪のような時には心の平静を保てていても、時化った時にはどうなるでしょうか?
今後、社会の変化はますますどんどん早くなります。それはとても良い事なのですが、己の心の深みを知らず、表層のみを生き続けるのであれば・・・、納期が迫ってきたとき、締め切り間際になったとき、その様な事が日常になれば、心は嵐のなか、波風に翻弄される小舟のようになってしまうのではないでしょうか?
TM(超越瞑想)は波立つ心の表層で雑念を払いのけ、心を静めて無になろうとする、そのような方法ではありません。幸福をイメージする方法でもありません。成功をイメージすることもしません。心の海の深みをイメージするのでもありません。呼吸をコントロールしたり集中したりする方法でもありません。何かと交信するようなことも、祈ることもありません。
TM(超越瞑想)はただただ心の奥底に到達するまで、表層から深みへと垂直的に心の内を体験していくための方法です。そして心が深層に到達した時には、活きいきとした、光り輝く心の原点に立ち返るのです。
このような体験を朝と夕、一日二回繰り返していくと、心は心の全体を把握し活用するようになります。盆暮れが一度に来たような時であっても、心は静寂と幸福を保持するようになります。ますます活動的になり、成果、達成はどんどん大きくなり、不安や緊張はなくなっていくでしょう。
TMは心の海の底に向かって正しい角度で飛び込む、そんな瞑想なのです。黒須敏道