超越瞑想-TMは、より大きな幸福へと向かっていくという心の自然な傾向を利用しています。心の海の奥底には大きな魅力、純粋な幸福、至福がありますから、その魅力の存在に気がつけば心は自然に自動的に心の内側へと向かって動いていきます。心は自らの本質的魅力に惹かれて自らの内へ内へと進んでいきます。それはどんどん大きくなる幸福感、安心と満足感を体験する過程ですから、そこに苦痛はなく、努力も要りません。完全に自発的なものです。信じる必要もなく、制御も必要ないのです。
心に正しい角度を与えれば、あとは自動的です。
心の海の奥深くには、純粋な幸福、凝縮した幸福、至福があります。その存在を信じる必要はありません。イメージする必要もありません。魅力的な場、幸福に向かって進んでいこうとする心の自然で自発的な動きを、TM中はただただ受け入れるだけです。TMでは、心の海に正しい角度をとって飛び込んだ後は起こるがままに受け入れます。
ここでは、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが超越瞑想‐TMについての質問に答えています。
ここでは、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが超越瞑想‐TMについての質問に答えています。
Q:超越瞑想テクニックとはどのようなものか、話していただけますか。
A:超越瞑想テクニックはシンプルで自然な方法です。だれでも簡単に習うことができます。
朝と夕に15分から20分くらいの時間をとって、心を最小励起状態にまで落ち着かせます。心と体はこのようにして深い休息を得ます。
朝と夕に15分から20分くらいの時間をとって、心を最小励起状態にまで落ち着かせます。心と体はこのようにして深い休息を得ます。
Q:これはまったく心の中だけで行うテクニックなのですか。
A:そうです。ただ椅子に座って目を閉じて始めます。
Q:心の中のテクニックでどうして体の休息が得られるのですか。
A:簡単な理由からです。つまり、心は体の活動を司っていますし、反対側から見ると、体や神経系の活動は心の状態を司っています。
心が走りたいと思えば体が走ります。そして、体が少し疲れてくると心は座って休もうと決めます。
心と体はいっしょに働いています。ですから、超越瞑想テクニックで心が最小励起状態へと落ち着いていくと、つまり、安らぎに満ちた鋭敏さの状態へと落ち着いていくと、その心の休息のために体のほうも深い休息を得るのです。
この休息が、体に蓄積しているストレスや緊張を解消します。
心が走りたいと思えば体が走ります。そして、体が少し疲れてくると心は座って休もうと決めます。
心と体はいっしょに働いています。ですから、超越瞑想テクニックで心が最小励起状態へと落ち着いていくと、つまり、安らぎに満ちた鋭敏さの状態へと落ち着いていくと、その心の休息のために体のほうも深い休息を得るのです。
この休息が、体に蓄積しているストレスや緊張を解消します。
Q:夜の睡眠だけでは、ストレスや緊張を解消するのに十分ではないのでしょうか。
A:夜に自然にとる休息だけで十分だと考えられていましたが、しかし、それだけではうまくいきませんでした。
どんな活動をしたとしても、何らかの深いストレスが後に残り、それは夜の睡眠の間だけでは解消されません。
こうしたストレスは、太陽を隠してしまう雲のようです。私たちの全潜在力はそこにあるのですが、障害があるために、それを日々の生活の中で十分に活用することができません。
科学的な研究が示しているように、超越瞑想テクニックによって、基本的で統合的なストレスや緊張を解消してくれます。
私たちの創造性や知性の十分な活用を妨げていた雲が消え始めるのです。
どんな活動をしたとしても、何らかの深いストレスが後に残り、それは夜の睡眠の間だけでは解消されません。
こうしたストレスは、太陽を隠してしまう雲のようです。私たちの全潜在力はそこにあるのですが、障害があるために、それを日々の生活の中で十分に活用することができません。
科学的な研究が示しているように、超越瞑想テクニックによって、基本的で統合的なストレスや緊張を解消してくれます。
私たちの創造性や知性の十分な活用を妨げていた雲が消え始めるのです。
Q:この方法は自然な方法であるとおっしゃいましたが、本当に自然なものであるのなら、どうしてそれをするのにテクニックが必要なのでしょうか。
A:だれでも自然に話せるようになる能力をもって生まれてきますが、話し方は学ばなくてはなりません。話し方を学ばなければ、子供が言葉を話したとしても「あー、あー、」としか言えないでしょう。
それと同じように、私たちが全潜在力を表現するのは自然なことですが、その表現の仕方は学ばなければなりません。
水が湖から流れ出すのは自発的です。しかし、その水を自分たちの畑へ引きたいときにはパイプラインを設けて水を導きます。
心の内側深くに想念が始まるところがあります。そして、その領域は計り知れないエネルギーと知性が蓄えられているところです。
その純粋なレベルへと私たちが心を落ち着かせていくとき、私たちはエネルギーと知性の蓄積場への水路を開いているのです。
それと同じように、私たちが全潜在力を表現するのは自然なことですが、その表現の仕方は学ばなければなりません。
水が湖から流れ出すのは自発的です。しかし、その水を自分たちの畑へ引きたいときにはパイプラインを設けて水を導きます。
心の内側深くに想念が始まるところがあります。そして、その領域は計り知れないエネルギーと知性が蓄えられているところです。
その純粋なレベルへと私たちが心を落ち着かせていくとき、私たちはエネルギーと知性の蓄積場への水路を開いているのです。
Q:その水路はどのようにして開かれるのでしょうか。
A:それは心の自然な傾向です。心に正しい角度を与えてやれば、心は自動的により洗練されたレベルへと落ち着いていきます。
心が思考の過程のより精妙な面を経験するとき、心はより洗練されたレベルの自覚を経験します。こうして、心はますます目覚めていきます。
そして、私たちの自覚が最大の目覚めを得たとき、その次の洗練のステップは思考の領域を超越することです。
私たちは「純粋な」自覚の領域に達します。心はその中で完全に目覚めているのですが、しかし想念はありません。
心が思考の過程のより精妙な面を経験するとき、心はより洗練されたレベルの自覚を経験します。こうして、心はますます目覚めていきます。
そして、私たちの自覚が最大の目覚めを得たとき、その次の洗練のステップは思考の領域を超越することです。
私たちは「純粋な」自覚の領域に達します。心はその中で完全に目覚めているのですが、しかし想念はありません。
Q:それは何か矛盾しているように思えます。何も考えていないのに心が目覚めているということが、どうして可能なのでしょうか。
A:どんな活動でも、その始まりにおいてはそうした現象が見られます。
いまにも走り出そうとしているランナーを考えてみてください。ランナーの内側は活気に満ちていますが、まだ動いていません。まだ活動してはいません。
これは、心の最小励起状態に似ています。心は目覚めていますが想念はありません。そのような心は「純粋な目覚め」「純粋な意識」「純粋な知性」と呼ぶことができます。
いまにも走り出そうとしているランナーを考えてみてください。ランナーの内側は活気に満ちていますが、まだ動いていません。まだ活動してはいません。
これは、心の最小励起状態に似ています。心は目覚めていますが想念はありません。そのような心は「純粋な目覚め」「純粋な意識」「純粋な知性」と呼ぶことができます。
Q:しかし、心をそのように落ち着かせるのは難しいのではないでしょうか。心を集中するのは難しいと思います。
A:超越瞑想テクニックは心を集中させようとする方法とはまったく異なっています。
集中は静的ですが心は変化を望みます。超越瞑想テクニックは、躍動的で自発的な方法です。
集中は静的ですが心は変化を望みます。超越瞑想テクニックは、躍動的で自発的な方法です。
Q:何を考えるのですか。
A:いろいろな事について考えるというのも、超越瞑想テクニックの方法ではありません。
何かについて考えるのは黙想です。黙想では、注意が意味から意味へと動いていきますが、それはすべて心の意識的な思考のレベルで起こることです。それは池の表面に浮かんでいるようなものです。
超越瞑想テクニックは、水平的な心の活動ではありません。それは垂直的です。それは池の深いところへと飛び込んでいくのに似ています。
何かについて考えるのは黙想です。黙想では、注意が意味から意味へと動いていきますが、それはすべて心の意識的な思考のレベルで起こることです。それは池の表面に浮かんでいるようなものです。
超越瞑想テクニックは、水平的な心の活動ではありません。それは垂直的です。それは池の深いところへと飛び込んでいくのに似ています。
Q:しかし、心をそのように落ち着かせるためには、何かをしなければなりませんね。
A:何もする必要はありません。私たちは、ただより大きな幸福の場へと向かおうとする心の自然な傾向を利用するだけです。
経験から、純粋意識という基本的な状態にはもう一つの面があると分かります。それは、純粋な幸福の状態、凝縮した幸福の状態でもあるのです。それは、純粋な至福意識の状態です。
ですから、超越瞑想テクニックは、心がより大きな魅力と満足の方向へと動いていくようにする躍動的な方法です。
こうした理由から集中はまったく必要ありません。より多くを楽しむために心を訓練する必要はありません。正しい角度を与えてやりさえすれば、心は自発的にその方向をとるのです。
経験から、純粋意識という基本的な状態にはもう一つの面があると分かります。それは、純粋な幸福の状態、凝縮した幸福の状態でもあるのです。それは、純粋な至福意識の状態です。
ですから、超越瞑想テクニックは、心がより大きな魅力と満足の方向へと動いていくようにする躍動的な方法です。
こうした理由から集中はまったく必要ありません。より多くを楽しむために心を訓練する必要はありません。正しい角度を与えてやりさえすれば、心は自発的にその方向をとるのです。
Q:こうした説明を受け入れない人はどうでしょうか。超越瞑想テクニックは、そうした人の場合でも効果が期待できるものでしょうか。
A:もちろんです。切符を買って飛行機に乗りさえすれば、飛行機は私たちを目的地まで連れていってくれます。
Q:これは、何かを信じるとか信じないという問題ではないのですね。
A:信じるか信じないかは問題ではありません。私たちが超越瞑想テクニックをテクニックと呼んでいるのは、そうした理由からです。それは機械的なものです。信じていても信じていなくても、それには関係なく、求める効果が生み出されます。
心はたいへん自然に、あの純粋意識の状態へと落ち着いていきます。
心はたいへん自然に、あの純粋意識の状態へと落ち着いていきます。
★☞YouTube『マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが超越瞑想について語る』(カナダのルイーズ湖 1968年、6分10秒)もご参照下さい。