超越瞑想-TMの実践は、ものに動じない内面の安定性、心の強さ、柔軟性を培います。
このような内面の成長のためには強い意志をもってそのための難しい修練に取り組まなくてはいけない、と考える必要はありません。TMを世界に紹介し、普及活動を行ったマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは、その考えを完全に否定します。心の本性に沿った方法があれば、修行のような難しく骨の折れることに取り組まなくても、もっと無理のない快適なやり方で十分に精神性を養うことができるのです。そして、それがTMという手法です。
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「精神性の成長の基準は、平安、力、英知、創造性、幸福がどれぐらい成長したか、創造性や英知や幸福がどれぐらい増大したか、です。このようなことが精神性の本当の成長の基準です。
さまようことが心の本性であると考えるのは間違っています。一般に、心は猿のようであり、さまよいまわるのが心の本性だと考えられています。そして、それが心の本性であるので、心が揺らがなくなるためには、長い修業を通じて心を十分に制御できるようにならなくてはならない、というわけです。しかし、これは間違った考え方です。
心は王の中の王です。たとえ王がベランダで朝から夕方までぶらぶらしていたとしても、それを見て、彼の本性はさまようことだと考えるのはふさわしくありません。王はただ座るための適当な座がないためにさまよっているのです。彼がぶらぶらしているからと言って、それで彼の本性はさまようことだと推論するのは、まったくの間違いです。さまようことは彼の本性ではありません。
さまようことは心の本性ではありません。心はたださまよい続けなくてはならないような状態に置かれているだけです。なぜなら、幸福を求める心の渇きに満足をもたらす魅力的な経験が、何も得られないからです。
もし何か美しいものがあれば、もし何か楽しいことがあれば、心はしばらくそこにとどまります。喜びが大きければ、心はそれだけ長くそこに安定しています。
人生の経験からわかるように、何でも私たちの本性に従ってなされたことは、私たちを喜ばせてくれるものです。もし花が好きならば、私たちは周りに花を飾ります。花は私たちを喜ばせてくれます。
皆さんは心が必要としているものを心に与えてやります。心は幸福を必要としています。ですから、心をより大きな幸福の領域に導いてやります。心はより大きな創造性にあこがれています。ですから、心をより大きな創造性の領域に導いてやります。心は賢くなりたくて落ち着きません。それを英知の領域に導いてください。そうすれば心は自動的にそこにとどまるでしょう。心は求めていたものを得て満足し、自然にそこにとどまるのです。」
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー